熊野神社(葛飾区立石)と陰陽師と将門公と神田明神

おお、熊野神社(葛飾区立石)に関する記事だ...

羽生結弦「陰陽師」の曲、東京・熊野神社でも金祈願 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

記事によりますと、

ゆづ君に金メダル、お願いします! 平昌五輪(ピョンチャンオリンピックフィギュアスケート男子で2連覇を狙う羽生結弦(23=ANA)は今日16日、ショートプログラム(SP)に出場する。神戸市の弓弦羽(ゆづるは)神社や東京都葛飾区の熊野神社など、羽生とゆかりがあるパワースポットには、2日間無事に滑りきることを願うファンが訪れ、手を合わせた。

と、 熊野神社には羽生選手の活躍を願うファンが多く訪れているそうです。

羽生選手のフリープログラムの曲は、映画「陰陽師」のテーマ、陰陽師といえば安倍晴明です。

安倍晴明=立石熊野神社

☆立石熊野神社
葛飾区立石にある神社。
立石熊野神社は、平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師 阿部晴明により勧請されたと伝えられる立石村の鎮守社です。

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2014年の4月、私は家にある京都の晴明神社の古くなった御札を納めるため参拝したことがありました。
安倍晴明陰陽師、その晴明より勧請された熊野社(神社)が我が家の近所でもある立石(東京都葛飾区)にあるので詣ったわけです。

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陰陽師の巣といえば京都の賀茂神社でしょうか。
また陰陽師といえば八咫烏の象徴があるとも聞きますが、立石の熊野社のシンボルも八咫烏でした。
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桜がキレイでした。
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参拝していましたら、突然神社関係者の女性が声をかけてくれました。
いろいろと、ご親切にも説明していただき有り難く感じましたが、このような突然のご親切は他の神社へ参拝した時にもありました。
ここ最近では、浅草の今戸神社日月神示でも有名な麻賀多神社でした。
今戸神社は招き猫発祥地ともされ、新撰組沖田総司終焉の地でもあります。
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こちらには、"境内に白いネコ『ナミちゃん』が現れる時も・・・"と記されていまして、この白いネコ『ナミちゃん』が現れると福があるとも言われます。
で、前回、私が訪れた時、偶然にもナミちゃんが現れてくれました。
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テレビや雑誌ではパワースポットとして有名ですのでご存知の方も多いかと思いますが、その際によく登場される女性が声を掛けてくれまして、参拝の作法などを教えてくれました。
麻賀多神社で声を掛けてくれたのは男性で、その方は、神社と敷地内にある誰も気にも止めない部分などをご親切にも説明しながら案内してくれました。
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この時、麻賀多神社で不思議だったことは、その男性が突然現れ、私が写真を撮っている間に突然姿が見えなくなったことです。

お礼を言おうと思いさがしましたが、もういませんでした。

 

さて、冒頭の記事に、立石熊野神社宮司は千島俊司さん(44)、と紹介されていますけど、宮司が変わったのでしょうか、以前、立石熊野神社宮司さんは、神田明神(神社)の宮司さん『大鳥居信史』宮司が兼任していたかと記憶していましたが。

 

神田明神(神社)と言いますと、ちょうど1年前の過去記事で、将門公の首塚神田明神に関することを記しました。

将門首塚 - strange world➰奇妙な世界

抜粋しますと(編集)

将門公の首は京へ運ばれ晒し首となるも、3日後には東の方角へ飛んで行ったとされます。

ちなみに、将門公の胴体塚もあるようで、平将門の胴は、弟の平将頼らによって下総国岩井村(現在の茨城県坂東市)の延命院境内に密かに葬られ、境内にある不動堂の裏に円墳があり、この塚を将門山、または神田山と称していますが、神田山と称されるのは神田明神と関係あるか、発音的に、かんだ(神田)は『からだ』が転化したした言葉なのかもしれません。

聞いた話では、神田明神の神田は、その昔『かんだ』ではなく『からだ』と言ったらしい(からだ神社?)。

もしかすると、斬首された将門公の体の方は茨城県の延命院境内ではなく神田明神にあるのかもしれないと思ったりもします。
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f:id:somin753:20180216133206j:image▲将門首塚の由来

その文面には、

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白光を放ちながら東方へ飛び、将門の首が戻ってきたとき、大地は鳴動し太陽が隠れ真っ暗になったと伝えられています。

ただの作り話か?
それとも象徴となる異変があったのでしょうか?
「大地は鳴動し」とありますが、この時代は地震が多発していましたので、これは地震のことかもしれません。
「太陽が隠れ真っ暗になった」ということから、日食かな、と思い調べてみましたが、それは違うようです。

将門公が死没したのは940年頃、とは言うものの、実際は謎です。
もう少し前だったという話もありますが、死没記録の10年前の異変になりますと、

930年5月24日
太陽が「虹色」の光を発すという異変あり。『扶桑略記』

6月 8日
不吉な「大雪」が降る。『吾妻鏡』吉川本

6月15日
月食が観察される。『扶桑略記』『本朝統暦』

などがあります。

また、940年ではなく、903年頃ではないか、という説もあり、905年としますと、この年に彗星が現れ、月食などがありました。

940年に近い937年としますと、この年の11月に富士山が噴火しています。
その約10ヶ月前には日食が起きています。
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白光を放ちながら東方へ飛び、将門の首が戻ってきたとき、大地は鳴動し太陽が隠れ真っ暗になった.........

それは出来事か?、それとも象徴か? 

 

私の知合いで茨城出身の男性がいます。

男性は言います、

『体は神田明神のある場所にあるよ、

どこだっけな?

聞いておくよ』

とのことでしたので、わかりましたら記します。

 

では。

 

余談ですが、私は神社への参拝において、お願い事は一切致しません。

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願う

この語が生じたのは「労ぐ」、これは「ねぐ」と読み、ここから「労う(ねぎらう)」という語が生じています。
つまり、願うとは労ぐ、労う。

 

労うとは

感謝すること、いたわることの意。

 

また、「労ぐ」から生じた語に、神職禰宜(ねぎ)がありますが、禰宜とは、神の御心を休める者。

神社への参拝は労うことから。


つまり、神への感謝です。

はじめも、おわりも、感謝のみ。