ねこ→猫→根子とか天皇とかヘブライとか荒唐無稽に論じれば

神秘的な猫。
日本にはいつから猫がいたのでしょうか。
まあ、いろいろな種類の猫が存在しますが、例えば、黒猫に関する『唐土渡来の黒猫』という記録がありまして、それによりますと黒猫は舶来猫のようです。

神秘的な象徴ともされる猫、エジプトにおいて、猫は聖なる存在とされてきましたし、今でも猫は神聖視され、可愛がられているようです。
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猫にも様々な種がありますが、古今東西 、黒猫については特別な意味があるようにも感じています。
特別と申しましても、その多くは象徴であり迷信なわけですが、そのように語られるにはそれなりの理由があってのことかと思っています。

で、調べてみたのですが、これがサッパリわかりません。
ただ、中世ヨーロッパ時代、黒猫、それは魔物として扱われたという話は有名で、そうさせたのはカトリック教会のようでもあります。
そう、魔女狩り
魔女の相棒といえば黒猫。

黒猫についてWikipediaでは、

●迷信

欧米では、かつては不吉の象徴とする迷信があり、魔女狩り等によって黒猫が殺されることがあった。たとえばベルギー・ウェスト=フランデレン州の町イーペルでは「猫の水曜日」に時計台から黒猫を投げ殺す行事を19世紀初頭まで行なっていたという。その傾向は現在も続いており、特にイタリアで顕著だという。イタリアでは、黒猫というだけで年間6万匹もの猫が迷信を信じる市民によって殺害されており、動物愛護団体が署名を募るなどしている。他の欧米諸国でも黒猫は不吉な動物とされる場合があり、黒猫をまたぐと不幸がおこる、十三日の金曜日に黒猫を見ると不幸がおこるという迷信が一部で語られている。

その一方で、イギリスの一部の地域では幸運の象徴ともされる。前述のイーペルでは3年毎の5月第2日曜日にKattenstoet(=猫のパレード。近年では2009年開催)が行なわれる。黒猫装束の人が多数参加し、教会の塔の窓から投げられた黒猫のぬいぐるみをつかむと幸運になるといわれている。近代以前の日本では「夜でも目が見える」等の理由から、「福猫」として魔除けや幸運、商売繁盛の象徴とされ、黒い招き猫は魔除け厄除けの意味を持つ。

黒猫 - Wikipedia

 

中世ヨーロッパは黒猫の受難時代だったかもしれません。
それ以前、黒猫(猫全般)は神聖なる存在であり、日本でも、古くから黒猫は福なる存在だったようです。

 

さて、熊本県には根子岳という山があります。
根子岳(ねこだけ)は、熊本県阿蘇郡高森町にある山で、神様が怒ったために山容がギザギザになり、そのギザギザになった姿が猫の形に似ていたから根子岳と名付けられたという伝説があります。

猫に似ているから根子岳

猫岳ではなく、根子岳なんですね。

長野県にも根子岳、小根子岳という山がありますが、小根子岳には十字架があったりします。

猫は根子と記す。

根子はネコ、またはネッコとも。
ネッコとは樹木の根。

 

さて、日本には根子(ネコ)の名前が付く伝説の人物【大田田根子】がいます。

三輪山の神である大物主神の子とされ、 崇神天皇の世、疫病が流行したとき、天皇の夢に大物主神が現れて、疫病は自分の仕業であること、自分の血を引く大田田根子の手によって祭られれば、それは収まると告げたとあります。
オオタタネコによって疫病が収まるわけです。

疫病と猫。

中世ヨーロッパに似た話があります。

カトリック教会が魔女狩りと一緒に猫も狩り、その後、猫がいなくなるとペスト菌が大流行、しかし、このペスト菌撲滅に活躍したのが猫ともされます。
つまり、ペストの根源であるネズミ退治をしたと言う話です。

 

余談ですけど、大田田根子は大田?大田田?どちらで区切るのでしょうか?

 

さて、根子にはもう1つ重要な意味があります。

それは倭根子です。
倭根子とは天皇の美称なんですね。

つまり、天皇を表すのに使用される言葉 。

倭というのはわかりますが、なぜ根子なんでしょうか?
倭根子、で天皇の美称。

天皇とは、天の白い王(皇)で、白い王といえば九十九王子
なぜ九十九王子が白い王かと言うと、九十九は百に一つ足りないから九十九で、漢字では百に一つ足りない白となるからです。
九十九王子とは皇子のことかもしれません。

また、九十九王子といえば熊野詣、その1つの宮には安倍晴明に関わる神社があり、安倍晴明九十九王子とも呼ばれています。

また安倍晴明筑波山付近で暮らしていたという伝説があり、その邸宅跡は猫島と呼ばれています。

九十九王子(神)から気になることが....
それは付喪神、九十九、付喪(神)、どちらも『つくも』。

付喪神
付喪神 - Wikipedia
抜粋しますと、

『土蜘蛛草子』には、九十九神の原型ともいえる描写があります。

鶏や狐の姿をした女性や妖怪としての獏が描かれ、五徳と牛が合体したものや、杵に蛇の体と人の腕が2本くっついたものや、角盥(つのだらい)の縁に歯が生えそのまま顔になっている人形(ひとがた)が描かれている。『不動利益縁起絵巻』にも安倍晴明とその使役される式神が5体描かれていて、鶏や角盥や五徳を擬人化したものである。
(抜粋終了)


五徳と牛が合体、がちょっと気になります。
五徳とは炉(火を使う)に関する器具のことです。
また、呪詛の鉄輪、五寸釘で藁人形をご神木に打つ呪いの儀式の際、頭に被る物です。
さらに気になるのが、九十九神の原型ともいえるものに、に蛇の体と人の腕が二本ついたもの、というものがあります。

『杵』は、木と午で、午はウマと読み、午前・午後のように時をも表します。
そして、午(ウマ)の刻は、昼の12時を中心とした約2時間です。
この杵『昼の12時の木』には蛇の体と二本の腕がついている、これが九十九神です。

荒唐無稽に論じますが、

キリストには蛇の象徴があり、十字架刑にされた昼の12時に太陽が光を失います。
そして、二本の腕がついている、というのは、もしかしたら十字架上で広げた腕のことか?

九十九神とは.......。

 

さらに荒唐無稽に論じますけど、

本来祭とは京都三大祭の1つ『葵祭天皇のための祭のことを言います。

祭の原点とされる葵祭に気になっていることがありまして、それは葵祭の巡行コースがイエスの悲しみの道ヴィア・ドロローサに似てるな・・・

(ヴィア・ドロローサとは、イエスが十字架に磔にされるためにゴルゴダの丘まで歩いた道だとされます)

・・・と以前から思っていました。

f:id:somin753:20170614121641j:image葵祭巡行コース


f:id:somin753:20170614121704j:image▲悲しみの道ヴィア・ドロローサ

比較するも全く異なるコースに見えます。
それでも何だか気になるわけです。


エスが十字架に磔にされた時間は9時頃とされます。

葵祭巡行開始は10時半。

エスが十字架に磔にされ、『地震と暗闇』が襲ったとされるのが12時頃。

葵祭巡行の12時は下賀茂神社

また葵祭の葵の花には象徴があります。
それは『地震、雷避け』です。

そして、15時半で葵祭の巡行は終了しますが、イエスが息をひきとった時間も同じころとされます。

葵は本来『あふひ』と読み、葵とはフタバアオイ(ふたばあふひ)らしいのですが、フタバアオイ(ふたばあふひ)に似たものがヘブライ語にあります。


フッツァ→山、台 (ゴルゴダの丘)

ハー→命を取られる (イエスの死)

フヒ→(神)の逆さ読み (十字架)


フッツァハーフヒ → フタバアフヒ?


で、葵祭の古語に『みあれ』というものがあるらしいのですが、ヘブライ語に似たものでは


ミンツ → 捧げ物

アネ → 私


ミンツアネ → みあれ


エスは人類の犠牲であり、捧げ物でした。

 

葵祭といえば流鏑馬があります。

馬に乗り、三つの的に矢を射るのですが、イエスの象徴には馬があります。
生まれた場所は馬小屋、黙示録では白い馬に乗っていますし、弓を持っていたかと思います。

矢、射る、に似たヘブライ語

ヤー(矢) → 神

イズル(射る) → 神聖な働き


ヤ、イズル→矢、射る?


矢を射る先には的(まと)、ヘブライ語で的に似た語、マコー → 天国。

 

ヴィア・ドロローサとは、イエスが十字架に磔にされるためにゴルゴダの丘まで歩いた道

その道程の途中でイエスは何度か休まれたそうです。

イスラエルの地図には、イエスが休息した場所に印が示されているとされます。

その印は背もたれのない長イスを象ったものなんですが、それが何と、神社の鳥居ソックリなんですね。

鳥居、一説によりますと、鳥が休む場所という意味もあるのだとか...........。

 

ネコとは関係ない話になってしまいました。

では。