今回は記事と言うより、内容的には日本語とヘブライ語のごじつけみたいなものになっています。
さて、青森には聖書(イスラエル)に関係するとされる戸来村や、イエスの墓やモーセの墓が遺されているという有名な話があります。
また、戸来村では赤子が生まれると、魔除けに赤子の額に十字の印を付け、赤子を籠の中に入れる儀式のようなものがあります。
日本とユダヤを関連付ける話は多くありますが、他の民族との関連を押し退けて、ユダヤとの関連を色濃く示す何かが日本にはあるのかなとも感じています。
青森にキリストやモーセの墓があるというのは有名な話ですが、実は石川県にもモーセの墓伝説があります。
場所は、宝達志水町河原地内にある『伝説の森公園(モーゼパーク)』といって、宝達山の山麓、三ツ子塚古墳群の中に葬られているとされます。
伝説の森公園(モーゼパーク)
伝説の森公園(モーゼパーク)|各課・施設情報|宝達志水町
何だかフリーメーソンを彷彿させますが。
さて、青森県には恐山がありますが、恐山(オソレサン)をこじつけではありますが、ヘブライ語で見てみると。
『オッ・セネ・サッ』
オッ→印
セネ→いばら
サッ→現れる
『いばらの印が現れる』
いばら(蕀)はイエスの十字架と同じように死の象徴で、恐山も死の象徴があります。
今度は津軽ですが、
『津軽』→『ツーァ・ガアル』
ツーァ→束ねる
ガアル→救い
また、ツーァではなく、ヘブライ語の『 ツォ』にすると『岩』となり、岩はイエス・キリストの象徴でもあります。
ツォ→岩(キリストの象徴)
ガアル→救い
ツォガアル(つがる)→キリストの救い
で、日本書紀では津軽を『津苅』と記し、軽→苅になっています。
苅とは、草などを苅る(刈る)という意味。
そこで気になることがあります。
聖書には
『私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい』
マタイの福音書
刈るは苅る、艸冠が付きます。
艸は棘のある草の意味で、それが冠です。
イエスのいばらの冠?
津苅→ツガル
ツガル→ツーァガアル
ツーァ(津)→束ねる
ガアル(苅)→救い
正にイエスの麦と毒麦を苅分る『かまを入れて刈り取ってください』という救い(ガアル)の象徴のように感じます。
先程、石川県のモーセの墓を記しましたが、そこは、三ツ子塚古墳群といいまして、歴とした古墳、つまり塚(墓)なんですね。
ただし、塚です。
過去に古墳を調査したらしく(これが不可思議というか謎なんですが)、その際に人骨は発見されなかったようです。
だから塚なんですね。
で、墓について少し気になるのですが、漢字「墓」の「莫(バク)」の部分、これは、
太陽が草の中に沈んで隠れることを示す会意文字とされます。
太陽が草の中に隠れるんです。
『草』は、艸・日・十となりまして、十字架の上に太陽(日)で、その太陽の頭に艸(棘のある草)の冠、この象徴するものが隠れるんです、それが墓で、天皇家では、亡くなることを『御隠れになる』と言います。
天照大神の神話『岩戸隠れ』も天照大神が岩戸に隠れ、ですから亡くなって岩の墓に入ったとなるのでしょう。
さて、四国の南予地方には牛鬼伝説があります。
内容は別の機会にしますが、この牛鬼にちなんだ祭が南予地方にはあるのですが、その中で意味不明のかけ声のようなものがあります。
牛鬼祭の中で
よいさー よいさー
よやさ ええことよー
いやっしょ
ふつうの祭の時のかけ声といった感じですが、祭の時のかけ声やキヤリというのは案外謎の言葉だったりするかと思います。
私がそれに興味をもった始まりがあるのですが、それが応援する時によく使う『ソレー』という言葉なんですね。
ソレ行け~!なんて言いますが、これは勢いを意味し、がんばれ、ともいう象徴なんですが、ヘブライ語でもソレーは『がんばれ』という意味なんですね。
そんなこんな(どんな?)で先程のかけ声をヘブライ語にごじつけてみますと
よいさー
ヨイッ→助言者、サー→前に進め
よやさ
ヨ→神、ヤシャ→救い
ええことよー
エル→神、コレヤー→~の声
いやっしょ
イェシュア→神の救い
日本語とヘブライ語のごじつけみたいなもの、でした。
では。